今回は、俳句の同人誌『月草』に寄稿したふーみんの文章を送ってみます 台風の接近で大変でしょうが、被害が出ないことを祈ります
久賀島(ひさかじま) 島から島へ渡る二次離島の久賀島。五輪真弓の父親の故郷であり、夫の生まれ育った島である。島に親類が一人もいなくなったこともあり、私がこの島を訪れたのは僅か四度である。 最初は腰まで草が覆う夏の盛りであった。バイクの二人乗りで島を走り回り、途中で夫は一人で思い出の場所を巡っていた。最後に連れて行かれたのは「牢屋の窄」という殉教の地であった。約十二帖の狭い小屋に二百名位を押し込み、四十二名が亡くなったとのこと。伸び放題の雑草だけの跡地に、史実を記した粗末な看板が建っている寂しい処であった。この時の体験が後に 露けしや超克刻む牢屋跡 の句になった。 二度目は中学生の息子を伴う、夏休みの旅の途上であった。福江島の高浜海水浴場で遊び、翌日久賀島に立ち寄った。住居跡は家は跡形もなく、壊れた五右衛門風呂と欠けた食器類だけが転がっていた。息子は「まるでジャングル」と呟いた。雨の日、傘をさして入る風呂は乙なもの?だったらしい。 三度目は二月末の久賀島「つばき祭り」に合わせた訪問であった。田ノ浦港からワゴン車に乗り、先ずは椿の群落へ。海に面して立ち並ぶ一万本の椿の原生林は、輝く緑の葉から覗く紅い花が実に美しかった。その後五輪教会・手作りの展望台・牢屋の窄を巡った。 五輪教会は民家風の外見と厳かな堂内のギャップに驚かされた。夫は一時間以上山越えしてここに通っていたとのこと。前に広がる海の透明度にも感動した。 「牢屋の窄」は全く別のものとなっていた。前回の訪問が無ければ、「露けしや」の句は生まれていなかった。整地されたところに殉教記念教会堂が建ち、どう見回しても以前と同じ場所だとは思えなかった。新たに刻まれた殉教者名に「五輪」に交じり、「外輪」がいくつか認められた。夫は昔、母が育てた花を供えに行くのが苦痛だったらしいが、ここは先祖の眠る聖地だったのである。 昼食は島で養殖された車えび・牡蠣の炭火焼・栄螺ご飯という超美味なものであった。 四度目は世界遺産に制定される前に企画された、上・下五島の教会群を見て回るツアーの一環で、五輪教会のみの訪問。夫の同級生が丸い石に椿と教会を描いたものを百円で売っていたのが懐かしかった。
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