久賀島キリスト教墓碑調査報告書「復活の島」を少し調べてみました。 その中に五輪塔については、14世紀後半頃関西の兵庫県と思われるところで数基製作され田ノ浦神社に運ばれたという記述があります。 五輪で確認される五輪塔は1基だけで16世紀後半頃に製作されたものとあります。 久賀島のキリスト教については、1560年代の終わりごろには伝わったと思われるが不明確な部分が多く、断定できないとのこと。 はっきりしているのは1797年の西彼杵半島(外海地区など)から多くの潜伏キリシタンが移ってからだということです。 潜伏キリシタンと五輪塔の関りを感じ、少し調べてみましたが関係なかったようです。 ただ、昔は久賀島の中心は田ノ浦であった、ということを教えてもらいました。 |