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「折紙」を求めて - 前川淳

 わたしは、折り紙の面白さに魅せられた、折り紙の創作家・研究家です。
この公民館報を読んでいるみなさんも、 小さい頃に折り紙をしたことがあると思います。
しかし、ひとくちに折り紙と言っても、それがとても幅広いのはご存知ないかもしれません。
完成するまで何時間も、ときには何日もかかる作品もありますし、できあがったものを見ても、
それがたった一枚の正方形の紙からハサミをまったく使わずに折るだけで作られたものとはたぶん想像がつかないものもあります。

一方で、折り紙は小さな子供も楽しめる遊びでもあり、教育現場でも再び見直されてきています。
薄く広いものを小さく折り畳むということから、人工衛星の中に太陽電池パネルを格納することに応用したり、
車のエアバッグの畳みかたに利用されるなど、意外なところで折り紙の発想が使われてもいます。
また、欧米をはじめとして海外でも盛んになり、多くの国で「ORIGAMI」で通用するようになってきています。

前川淳さん

 そのような折り紙を、造形や理論、歴史・民俗など、多方面からずっと研究しているわたしですが、
以前から、 行きたいと思っているところがありました。そう、それが久賀島です。
久賀島に住むみなさんには改めて言うまでもないことですが、 島には、折紙神社という神社、折紙鼻という岬、折紙という集落があります。
音はオリガミではなくオリカミですが、 これはじつに珍しい地名です。わたしが調べた限り、
オリガミ(オリカミ)神社は、青森県大鰐市(おおわにし)居土(いづち) 折紙にある折紙八幡神社と、
京都市山科区椥辻(なぎつじ)にある折上稲荷(おりがみいなり)神社、そして、久賀島の折紙神社の三社だけです。
また、自然地名では、青森県青森市と天間林(てんまばやし)村の境にある折紙山、山口県下関市の折紙鼻(これはつい最近発見しました)、
そして久賀島の折紙鼻だけです。北と西の端にあるところも不思議ですね。

 さて。以前から久賀島の「折紙」に興味を持っていたわたしですが、これらのオリガミ(オリカミ)が、
紙を折って様々なかたちをつくる 「折り紙」に関係がないであろうことはわかっていました。
「折り紙」は、明治ぐらいまで、ヲリスヱ、ヲリカタ、ヲリモノなどと呼ばれていたからです。
しかし、ヲリカミという言葉自体は古くからあり、それは、日本の和紙の文化や折る文化と強く関係があります。
現代でも「保証つき」の意味で「折り紙つき」という表現がありますが、あのヲリガミ(ヲリカミ)という言葉は古い言葉なのです。
平安から鎌倉時代、ふたつ折りにした紙をそのまま二枚の紙のように使う、 文書の作法が生まれました。
これをヲリカミと言います。これは鑑定書に使われる ようになり、「折り紙つき」の語源になりました。。

 ところで、京都の折上(おりがみ)稲荷神社は字が違いますし、青森の折紙集落も、居土(いづち)の上流で居上(おりがみ)、
それに字をあてて折紙なのではないかとされています。青森の折紙山(折紙集落からは50kmぐらい離れています)は、
山のかたちがふたつ折りにした紙に似るという説もありますが、アイヌ語のオンカミ(拝むの意味)から来ているのではないかとも言われ、
周辺の伝承などにも、紙に関する話はありません。これらは、上記の手紙の作法である「折紙」にも関係しない可能性が高いのです。
しかし、久賀島の折紙鼻と折紙神社は違いました。じっさいに紙を折ることに関係する伝承があったのです。それは以下のようなものでした。

 元旦に人死にがあり、以前から宮司と不仲だった僧が神社の前を通って墓地に向かおうとしたところ、宮司が神域を汚されたと怒り、
僧を斬ってしまった。神威を畏れた宮司は、ご神体を持って出奔し、北の岬で紙札を折って祭祀し、海に身を投じた。
以来、その岬を折紙鼻と言うようになり、神社を折紙神社と呼ぶようになった。

 久賀島出身のかたが運営しているインターネットの掲示板でこの話を知った時はびっくりしました。
伝承以前に、地図上で折紙鼻と折紙集落は確認していましたが、折紙神社があることを知らなかったのです。
伝承が史実に基づいたものかどうかはだれにもわかりませんが、似たようなことがあった可能性はあります。
(これに関して、いくつか考えていることもありますが、細かい話なので省略します)

 それにしても、紙を折ることに関係する縁起(伝承)を持つ、折紙神社という神社があったのです。
蹴鞠にゆかりのある京都の白峯神社が、サッカー上達のご利益で有名になったように、はたまた、 船の安全なら金毘羅神社、
海神(わだつみ)神社と言われているように、折り紙界の発展を祈念するなら、ここ折紙神社をおいてほかにないぞ、
などと考え、いつか久賀島に行こうという思いは、より強くなりました。

 ところで、わたしは東京生まれの東京育ちですが、父は佐世保の生まれです。
先祖の墓所もそこにあり、肥前地方は、わたしにとって無関係な土地ではありません。
しかし、祖父一家が上京したのは60年以上も前のことで、また、母はまったくの江戸っ子でもあり、
それ以来ずっと東京で暮らしをしているため、わたしには、長崎県は遠い土地になっていました。
つい最近まで先祖の墓参りもしたことがありませんでした。
しかも、同じ長崎県と言っても、五島は、長崎や佐世保から100km西の海上にあり、さらに遠いところです。
何年か前に親戚と知人の家を訪問したときも、昨年叔父の葬式で佐世保を訪れたときも、(じつは、長崎県に来たのはこの二回だけでした)
久賀島のことは心の片隅にありながら、訪れることはできませんでした。
しかし、今回、思い立って、つばき祭りに合わせて、 久賀島に行ってみようと決めたわけです。
折り紙の交流などで海外にも行っているのに、久賀島が遠いなんて言うのはおかしいぞ、と、まあ、 そう考えたのです。
突然思い立ったので、準備はあまりできませんでしたが、「そうだ。みんなに折ってもらえる椿の折り紙も考えて行こう」 ということで、
難しすぎない、でもちゃんと椿らしい作品を急遽考えてみました。
以上のような経緯で、先日のつばき祭りでは、 椿の折り紙の講習会もさせていただいたわけです。
「難しすぎない」といっても、折りなれないかたには、簡単ではないものですけれど、 悪くない作品だと自負しています。

 久賀島は、思っていた通りの、自然豊かな、そして、歴史と伝説に彩られた美しい島でした。
折紙鼻、折紙神社、 折紙集落の歴史などの調査についても様々な収穫がありましたし、
椿の折り紙も多くのひとに気にいっていただけたようです。 もちろん、折紙神社では、折り紙の発展を祈念してきました。

 みなさんの故郷である久賀島を、折紙という地名や神社があるということで興味を持った人間がいるというのは、
「物好きな」という感想が第一だと思います。ただ、これを機会に、地域のみなさんで椿の折り紙を楽しんでいただくなど、
折り紙に興味を持ってもらえれば、これに勝る喜びはありません。
後世、折紙神社の伝説に椿の折り紙も加わるかもしれないなどと 夢想めいたことも考えています。

 折紙神社、折紙鼻などの調査はまだ積み残しもあるので、またいつか、島を訪問したいと思っています。
久賀島が、自然にあふれ、折紙の伝説を秘めた美しい島であり続けることを願っています。 (2005年2月10日)

前川淳さんのプロフィール

1958年東京生まれ。折り紙創作・研究家。日本折紙学会評議員。
有限会社マエカワ(コンピュータ関連会社)代表。

主な著作
『ビバ! おりがみ』(サンリオ 1983 笠原邦彦編)
『美の図学』(共著 森北出版 1998 日本図学会編)

椿の折り紙

前川さんより椿の折り紙の図(PDFファイル)をご提供いただきました。 以下にしたがってご利用お願いいたします。

・本図の著作権は、前川淳にあります。
・私的な利用、教育現場での利用を除き、著作者の許可なく複写・配付することはできません。
・前川への連絡は折紙探偵団(webman@origami.gr.jp)経由でお願いします。

PDF(960KB)

 

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